サフィニア邸で休日を

さふぃと中の人の支援とこれから

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お疲れ様です!

 

 

 

今日も息抜きに誰かの息を詰まらせる、そんな文章のサフィです。

 

わたくし、

全力で遊ぶからには、その中に学びがあるべきだと思うのですね。

 

今日何気なくネットニュースを眺めていたら

「ビジネス文書でイラッとさせる文章 こんな表現はNG!」なんて

ハウツー記事に行き当たったわけです。

その中身についてはわたくし知ったこっちゃありません、

というか何の文句もないので超割愛します。

ともかく仕事の上での文章表現の仕方についてです。

 

ただ、さすがといいますか、かなり具体的な指南でもあり、

なるほどなと思わされはしたのですが、

一つ思ったことには「ビジネスで使う言葉とはかくあるべし」としか

思わずに使う言葉は相手に届かないだろうな、ということです。

そういうのって、結局「自分がどうか」っていう

自分に向くベクトルってことですよね?

振り返りのときに、「自分どうだったかなあ」「もっとよく出来ないかなあ」

という視点自体は超重要なものです。

でも企図として「こういう風にしよう」「こうすればいいはずだ」という

考えを相手抜きに作ってしまうとただの独りよがりでしかない

このように私は考えます。

 

それが、こと支援では「相手ありき」のことだから日常的に感じることなのです。

しかも、支援というのは、自分は一人で狩りを終わらせることができて、

それに誰かを連れて行く、というようなものではありません。

まして自分が導けば一から十まで思った通りに相手が動く、

そんなのはまず支援ではありません。

支援は別の見方をすると役割分担の一つの形であり、

言葉にしたり行動で見せたりしながら

私の役割を一つ提案して、相手の信頼を元にこれを任せてもらう。

そうして形を作り上げていくのがモンハンにおける支援行動です。

他のMMOのように事前に明示されるような、

支援の形に関する明確なフォーマットが弱いからこそ、

役割分担の前にコミュニケーションが伴うわけで、

(モンハンはそもそも役割分担が必須ではありません)

そこに相手の希望が介在せず、一方的に味方に対してアクションを起こす。

これは私が自分の文章でも言及していますが、

「介入」でしかなくなります。

一緒に狩りを進めていくというスタンスでいるからには、

狩りの中で(形はどうあれ)コミュニケーション抜きだと

私は支援を語れないと思っています。

 

だからもし支援をしたい、一緒に狩りを進めていきたい、

という思いがあるのであれば

相手はどういう気持ちであるか、自分に何を望むか、つぼはどこか

といった相手に向けた目線があって当然だと考えます。

翻ってこれは仕事をするに当たり

相手が望んでいるものは何かを考えることは必要です。

事務的なデータを必要としているときには曖昧な表現は好まれませんが

自分の気持ちを推し量りたいと相手が望んでいるときには

感覚をこそ文章に表現する必要があるので一見曖昧な文が

「こういうのが欲しかった」と歓迎される場合があると思います。

 

表現の仕方にはその一つ一つに一長一短があって、

特徴があるから相性が生まれるというものでもあります。

それを選び抜くのは「場面」ではなく、

究極には「相手」なのだと私は思いましたが

それを教えてくれたのはまさに支援の場面なんですね。

 

これからも今まで歩いてきた道が軸となって

今から歩く道を標してくれるといいなと思いますし、

私そのものの標になるならそれはいつか誇りになると思いました。

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